4 人間はからだの中に原始の海を湛えた大きな皮袋

 いのちを粗末にしてはいけない、一人のいのちは地球より思いなどと、私たちは聞かされて育ってきましたが、現実の世界を見渡すとそれほどいのちが大切にされてないことは明らかです。

 一日4万人もの人がアジアやアフリカでは毎日飢えとそれに起因する病でいのちを落とし、世界の経済大国日本では自殺者が後を絶ちません。

 本当にいのちとはそんなに大切なものなのか、一体何を根拠にそう言うのか、と考えてみると、これといった決定的理由は見当たらないのです。一人一人のいのちはそれぞれ個人のものであり、それをどうしようと、どう生きようと、全くその人の勝手なのです。

 それより、人間のいのちをこれほどまでに大事にしない現代文明社会の方が問題だと私は思うのです。ただし、生きるということを生命現象として見ると、それは私たちが考えている人生という限定されたものを遙に越えた広大無辺な世界が広がっているのに気がつきます。

 それが、いのちの世界です。残念ながら、このことはあまり知られていません。

 人は簡単に人生の目的を見失った、生きる価値がなくなったなどと言いますが、それは生命現象を人間の個人的意識世界にだけ限定しているからそう見えるのです。一歩踏み出して見方を変えれば、そこには果てしないいのちの世界があるのです。

 私たちの日常は脳という意識と行動を律するコンピュータで制御されているため、コンピュータが作動不能になるとスイッチを切る(つまりいのちを絶つ)しか手がなくなってしまいます。現代科学は脳至上主義です。脳が全てをコントロールしていると信じきっています。しかし実際は脳は単なるからだのひとつの器官に過ぎず、内臓によってコントロールされているのです。

 どんな進んだコンピューターも電気がなければ作動しないように、私たちの脳も血液がなければ働かないのです。

 生命という想像を絶する世界を垣間見るためには、このコンピュータのスイッチを切るのではなく、一時停止させる、つまり思考を停止させることが必要です。

 神秘の生命現象をコントロールしているものは何か。

 生命現象を司る力と法則とは何か。

 生きるということは、60兆の細胞全てが絶妙な働きをネットワークでおりなす一大ページェントです。私たちが毎日行っている食物を食べ、消化し、排出するという行為も、実に沢山の細胞や器官の絶妙の連携によって初めて可能になる奇跡的な現象なのです。

 血液が絶えず循環していることも、体温が一定に保たれていることもそうです。

 生命現象は一刻一刻、瞬間瞬間の作用であり、一見あたりまえのことと考えられていることさえ、まだ何も解明されていない神秘的現象なのです。

 なぜならそれは大脳の認識範囲をはるかにこえるものだからです。

 例えば、大脳の働きそのものも生命現象ですから、大脳が大脳自身の作用をリアルタイムで認識することは不可能です。従って、生きるという人間の究極の現象は、私たちが計り知れない世界で行われている作用であると言えます。もちろん、これは生命という働きを純粋に客観的に考察したものであり、生きることの社会的意味を論議するものではありません。その社会的意味や人生の目的を論じることこそ、私たちにとっては現実的な課題であるように思うでしょうが、それは結局大脳皮質の働きという生命現象のごく一部にすぎないのです。

 私たちの存在は、そんな脳の働きの中に封じ込められるほどちっぽけではありません。生きているというだけで、私たちは無限のいのちの世界につながっているのです。これを読んでいるあなたは今、呼吸をしているはずです。呼吸とは酸素を吸って二酸化炭素を出すという現象ですが、生まれてこの方私たちは一度も呼吸を止めたことはありません。今この瞬間も無意識に吸っているこの酸素は一体誰が作ってくれているのでしょう。

 地球を覆う緑、海の植物性プランクトンや珊瑚礁など、実に沢山の生き物たちが私たちのいのちに欠かせない酸素を絶えず供給してくれているのです。このあたりまえの事実に思いを馳せた瞬間、私たちのいのちは無数のいのちに支えられて生きていることを誰もが知るでしょう。私たちは生きていくために必ず食べます。食べ物とは、それが植物であれ動物であれ、他の生命のいのちです。一体今日まで私たちはどれぐらいの野菜や米や家畜や魚のいのちを頂いてきたことでしょう。生きるということは他の生命を受け継いで、あるいは他の生命の犠牲の上に、初めて成り立つものなのです。

 肉食とベジタリアンでは奪ういのちの数が違いますが、ベジタリアンとて他のいのちを頂かないと、やはり生きていけないのです。

 私たちのからだを流れる血液やリンパ液は、私たちの体重の7割を占めます。私たちのからだの中の水と固形分の比が7対3であるように、地球の海と陸の比も7対3です。そして私たちの血液の成分は、海水のそれときわめて似ています。これは偶然ではなく、私たちが海の小さな生き物から進化したことの証です。私たちは体の中に原始の海を湛えた、大きな皮袋のようなものです。

 地球の海が汚れてしまったとき、私たちのからだをめぐる血液も同じように汚れてしまいます。この地球上に生きるあらゆるいのちは、生命の織物の中に織り込まれ、互いに影響を与え合い、支え合い、生きているのです。私たちが他の生き物や地球に対して行ったことは、自分自身に行っているのと同じ事なのです。

 同じように、私たちが地球の一部である私たちのからだにしたことも、地球や他のいのちに対して行っていることになるのです。

 いのちの世界では人間も他の生き物も、全てつながっています。

 私たちがからだの望まないものを食べ続け、からだの嫌がること(仕事)をし続けることは、私たちのいのちを蝕むのはもちろんですが、周りにいる人々やさらには社会にも歪みを与えていってしまうのです。ですから、私たちが他のいのちや地球に対してできる最大の貢献は、私たち自身が一瞬一瞬を喜びいっぱいに、ハーモニックに生きることなのです。

 喜びや調和はどこか外にあるのではなく、私たちの内にあります。今、こうして呼吸していることが、どんなに奇跡的でありがたいことかに気付いた瞬間、あなたは喜びでいっぱいになるでしょう。辛いときは、呼吸が浅く早くなっているものです。悩んでいるときは、息をゆっくりゆっくり長く吐き出せばよいのです。できたら微笑んで息を吐くと、さらに効果的です。

 自分の呼吸に意識を集中して、今こうして吸っている酸素を作ってくれた森の木々や草原の草たちや海のプランクトンにありがとう、と心の中で言ってみましょう。私たちのいのちがあるのは、彼らのお陰なのです。

 私たちがどんなに乱暴をして、森を伐採し、草原をコンクリートで埋め、海を汚しても、それでも彼らは私たちに酸素という愛を与え続け「思い切り生きなさい」とエールを送ってくれてます。私たちひとりひとりのいのちは分け隔てなく、他のいのちからの無条件の愛に支えられているのです。このことを本当にこころとからだで知ったとき、どのような悩みも消え去り、あなたも「ハーモニクスを生きる」ことができるでしょう。

 その具体的方法は、次回お伝えします。

●このエッセイは現在"NewRudie's Club"(シンコーミュージック)に連載中です。